「ねえ母さん、栗ご飯って手がかかる?」
いきなり尋ねられた意図を図りかねて私の周囲に❔が飛び交った。
小学校の夏休みの宿題の中に、俳句があった。
新学期が始まりクラスで選ばれたと聞いていたが、その後市の表彰式に呼ばれる事になった。その式は年をまたぎ、春になって、娘は小学校を卒業して中学のセーラー服で出席した。
「おかえりの 母の笑顔と 栗ご飯」
娘が小学5年の冬に、私は本格的に働き始めシフト勤務になった。朝4時に家を出たら午後2時が定時。朝子供達を学校に送り出してから出勤する日は当然帰りは遅い。家の合鍵を2本作り、娘と息子に持たせた。小学校低学年だった息子は懲りもせずに鍵を忘れては、学校から帰っても家に入れず、庭で姉の帰りを待っていた。
それまで朝何度も起こさなければ起きなかった娘が、自分で起きざるを得なくなった。目覚まし時計を3個用意し、枕元、ベッドから少し離れた所、階下に降りる階段の途中に置いて起き、朝の支度をして鍵をかけ、登校するようになった。弟の世話も、娘の役割になってしまった。
それでも朝は何とかするから、学校から帰った時には母さんに居て欲しいと娘は言った。今日帰ったら母さんがいる。家の鍵が開いてる。「ただいま」って言ったら「おかえり」って答えてくれる。美味しいにおいがして、一緒にご飯を食べられる。そう思いながら一日過ごし、帰って来るのが楽しみになると言う。
どれほど我慢を強いていたことか。
我が家は対面キッチンで、娘は学校から帰るといつも、私が食事の支度をする間、食卓で宿題をしたり、学校の話をした。においにつられてキッチンに来てはつまみ食いをした。「こら!」と言いながら、私は少し多めに作ったりもした。におい、音、会話、そこにいる空気感、一緒に食卓を囲む事も全部ひっくるめて、美味しいご飯となる。
家計の為に働かざるを得なかった私の事を、子供なりに理解していたのだと思う。
朝起してくれるはずの母が居ない。帰ったらランドセルから鍵を取り出して開け無人無音無臭の家に入る寂しさを知ってから、迎えてもらえた時の嬉しさや、手のかかる美味しいご飯を作って欲しいと願う気持ち、それが叶った時の喜びが十七文字で表された。
表彰を受けたという事は、句としてそれなりの評価を得たのであろうが、私にとってこの句は娘の心の叫びそのものだった。
新米の季節。栗を見ては思い出す。子供が親を求める時期はそう長くはないのに、一緒に居てあげられなかった申し訳なさが、私の心にいつまでもくすぶっている。