「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

認知症

認知症は心の準備よりも急激に進む。
 
 74歳の彼女は独身で見た目より随分若く見える。、定年までタイプライターの仕事をしていたという。特別養護老人ホームに入所していた母親の食事の介助などの為、毎日特養に通っていた。母親を看取り、10年ほど前から同じく独身の姉と同居しているが、半年ほど前から、彼女の物忘れなどがひどくなり、介護度1の認定を受け、母親の介護に通っていた特養に所属する我がデイサービスに通うようになった。

 姉妹の折り合いは悪い。

 来始めたころ、姉は
「これ以上ボケが進まないようにして。」
と言っていた。

 昨日迎えに行った時、姉が言った。
「○○苑なんて、行ったことないって言うのよ。もう。こんな人、他にもいる?」
とかなり限界の様子だった。

 デイに通い始めてから1年近くになるので、物忘れの症状が出てから1年半になる。
 通い始めた頃は、本当に「忘れてる」程度だった。
 同じ話を何度もする。「タイプライターの仕事を夜中2時までしてた」と何度聞かされたことか。

 最近は荷物依存が顕著で、特に「持って来た財布がない。」と言う。「持って来てませんよ」と言ってその時は納得されたようでも、5分とたたないうちに同じ事を言う。

 入浴が嫌いで、逃げ口上は決まっている。
「今朝入って来たのよ。」
 入るはずないじゃん。
 分かっているので
「では、顔だけ洗いに行きましょう。」
と風呂に誘う。すると待合で自主的に靴下を脱ぎ始める。

 昨日は、送りの時、自分の家が分からなかった。
 車が着いても自宅の前と思っておらず、
「着きましたよ」
と言っても、車窓から家を見ても自宅とは思っておらず降りようともしない。降りてみれば分かるかと思い、降り立ったが、そこがいつも出入りする勝手口の門だとも分からない様子で、
「ここからどうやって帰ればいいの?」
と、門に入らず、道路を歩こうとする。
 
 「こちらですね」
と、勝手口に私が進み、扉を少し開けると、
「あ、わかった」

 その時そのことは家人に伝えなかったのだが、デイに戻って主任に伝えると、今後同じことがあれば家人に伝えるということになった。

 家人=姉 は、ボケが進まないようにと願い、今でも妹とまともに会話できないことに腹をたて、喧嘩をしている。

 今回、自宅が分からなかったことに関しては、私も少なからずショックだったので、それを知ってしまえば姉の気持ちはいかほどかと案じる。

 ベテランほど慣れて落ち着いて対応するのだろうが、こういう時の自分の気持ちの持ちようもまた、あまり慣れたくもないのも事実である。