「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

今週のお題「私のふるさと」

92歳の彼女は長崎五島の出身。小学校1年生の担任だったことを繰り返し話す。掛け算九九や百人一首など昔覚えたことは口をついて出てくるが、さっき聞いた説明や、さっき自分が折った折り紙の折り方も、折ったことさえも忘れる。
 
 主人を原爆で亡くし、以後舅姑と同居を続け、教師をしながら一人息子を育てあげた。

 舅姑が亡くなり、息子が独立し、独居をしていた彼女の家が新設道路に買い上げられるのを機に、初めて九州を出て息子宅に同居するようになった。

「お嫁さんがよくしてくれる」
と言うのだが、お互い気を遣ってうまくいかない。
 
 素敵なブローチをしていたのでそう言うと
「こんなもの。お嫁さんが買ってきたからつけてるけど」
と不満げに言う。

 毎回、彼女に内緒でお嫁さんとデイがやりとりしているノートには、家で沈んでいた様子や徘徊したことなど細かく書かれて、お嫁さんも苦労しているのが分かる。

 送迎の時、簡単に
「お変わりありませんか」と尋ねる程度で、家族と深く話が出来ないのは、自尊心の強い彼女が気にするからで、ノートのやり取りも嫌がる。
 しかし、在宅の利用者の自立支援と同時に、介護する家族を助けることもデイサービスの大切な役割なので、彼女に限っては、内緒でお嫁さんとノートを介して情報を交換しているのだ。彼女に見つからないように細心の注意を払う。

 先日長崎で殺人事件があったとニュースで言っているのを聞き、「長崎」に対する彼女の反応は早かった。
「あれ、うちの近くよ」
と。
 いや違う。島じゃない。絶対近くじゃない。
 でも彼女は周囲の席の利用者に
「あれは私の住んでいた所の近くの・・・」
と説明し、
「まあ、そう」
なんて言われていた。

 生きるために必死だった人生に違いない。幸せと思える事も余裕もなかったに違いない。今の生活がもう長いのに、今の家の周りにあるスーパーの前を通ると
「ここは来たことがある」
と言う程度で、ふるさと長崎だけが、今も彼女の住処なのかもしれない。