「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

今週のお題「私のアイドル」

息子。
我ながら月並み過ぎる。
 
 3歳上に姉がいる。
 両家初孫だった姉は、愛嬌が良かったこともあり、無条件に可愛がられた。
 しかし、姑の発言は事あるごとに突き刺さった。
 
 生まれた病室で、女の子だったことを、
「いいわよ、まだ一人目じゃない」
 ・・・まあ、主人にも姉がいるので・・・

 そしてその年末帰省した折、
「次は男の子ね」
 
 2歳を過ぎると、
「いつまで遊んでるんだ。早く次を作れ」
と。これは舅。

 もしかすると男の子が生まれるまで生み続けなくてはならない?

 せっかく子を持つなら両性育ててみたいと思う気持ちもあり、産み分けに挑戦。幸い、男女を産んだ友達が、産み分けの本をくれたので従ってみた。
 基礎体温を記録し、献立を夫婦で別メニューにし、カレンダーで「この日」と決定。そして実行・・・夜は疲れて寝てしまったので翌朝になったのだが・・・

 相性良すぎて、見事妊娠。直後からの第一子との体調の違いに、今度は男子だと確信した。

 難産の末生まれ出た息子は産声を上げず、分娩室は緊張が高まった。「ゆっぴい」と同じ状態。
 どれほど経ったか、
「・・ほぇ〜・・」
と小さな声がした。抱かせてはもらえなかった。処置室へ連れて行かれ、戻って来たときは、離れた台の保育器の中で、チューブに繋がれていた。
 生きて欲しいと思った。障害があるかもしれないとも思った。それでも、私の傍で、ただ生きて欲しいと願った。
 誰もが子供にかかりっきりで、分娩台の上に私一人産んだままの状態で取り残されていた。

 やはり息子はあらゆる面で発達が遅かった。それでも、周囲のお陰で年を重ね、今年中学に入学した。

 今でもどこかの回路がおかしいような気がするのだが、学校の先生を始め、周囲が「個性」と認めてくれているのがありがたい。
 赤ちゃんの頃、誰かが言った。
「今が一番かわいいときね」
と。
 いつも危なげなこの子を、「今が一番」と思い続けて12年。今も一番である。

 この子で出産が打ち止めになったことは、言うまでもない。