「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

今週のお題「2011年、夏の思い出」

長いと思っていた半年の職業訓練が終わった。3期生だが、全員揃っての卒業は初めてだと事務局から言われた。やはり10科目の筆記試験といくつかの実技試験、15日の施設実習は、色々な家庭の事情を抱えた訓練生にとっては厳しい。
 特に終わり数日、レポートの提出について「出した」「出てない」の問答が目立った。1時間につき2ページ、1日6時間講義を休むと6枚12ページ提出しなければならないので、よほどの理由がなければ休まないし、その上レポートにかなりの時間とエネルギーを消費する。出した者にとって、「出てない」と言われても、また12ページ書いて出すなんてことは容易ではない。
 しかも、これだけ何人もこの水掛け論が発生しているということは、・・・「出した」のだ!!
 訓練途中までで、・・本人は「転勤」と言ったが誰もがクビになったと思っている二十歳の事務員・・がまだいた頃のレポートばかりが未提出扱いになっている。月末に配られる翌月の時間割は訂正ばかりで3度も配られたり、テストの日に休んだら後日受験することでレポート免除だと2度も確認したのに、実は免除ではなくて未提出扱いになっていたり。そしてその事務員がいなくなっても新しい事務員は入らず、窓口は常に空席でものを言う機会もなく、男性二人が常に忙しそうに別室で仕事していた。
 実習が始まると事務所の手違いで日にちを間違え、実習先から実習生が来てないとクレームがあったり。「確認します」と言ったきり無しのつぶてだったり!?
 大人相手なのだから、小中学生とは違い、黙っていない。
 職安からの紹介で請け負った訓練先で訓練を受けているので、実際に被害にあった実習生は職安に申し出ると言っていた。
 ちなみに、「就職の斡旋はしないし、出来ない」とはっきり言われて、あれ、受講生募集の面接では斡旋すると言われて、「本当にしていただけるんですか」と自分が念を押して「はい」と言われたのを覚えているのだが、面接者側はそんなやりとりは覚えていないという。
 事務所のあちこちにマイクつきカメラを常に起動させておいてもらいたい。
 すでにこの訓練校の信用は失墜し、お陰で(!?)訓練生同士の絆は一層強まった夏であった。