「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

「永遠の愛」

15日間の施設実習が始まり、初めの10日間グループホームに通い始めて4日を経過した。
 ほぼ100%認知症高齢者で、アルツハイマー、パーキンソンの方もおられる。この4日間で9人の入居者のうち4人の家族が面会にこられたが、そのうち2人は毎日ご主人が来られる。食事の介助や歩く練習をされたり、分からなくても話しかけたり。襟や髪が乱れていたら櫛で直されたりするので、職員も気を遣う。
 穏やかなご主人が、実習生で大きな名札をつけている私の名を呼び、奥様の病状を初期の様子から細かく話された。一緒に聞いていた職員が質問する。詳しい話を聞くのは初めてなのかもしれない。
「愛されているなぁ」
と感じる。62歳の奥様は、体を自力で動かす事が出来ない。足は硬縮が始まっている。傍にいるのが誰か、今ご自分がどこにいるのか、何をしているのか、分かっておられるのかどうか、定かでない。言葉が理解できなくなっても、愛されている実感だけはあるのだろうか。
 唯一の男性入居者さんの部屋には奥様の大きな写真が飾ってある。尋ねてもその人が誰か、本人は分からない。けれど時々
「すーみーえー!!」
と大声で奥様の名を叫ぶ。
 愛し愛されるというのは、脳の働きではないのか。
 認知症の症状は習った。ご主人の話された病状の進行などは、本当に習った通りだったが、
「反応がなくなっても、声かけは必要」
と学んだ事とは、違う気がする。