「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

今週のお題「私のちょっとした特技」

「褒める!」
 とにかく相手の良いところを見つけて伝えることが最大の自己防衛&人間関係円満のコツ。
 「かわいい」 「上手」 「さすが」 「それいいね」
 職業訓練に乗り合わせて通う5人のうち、その日1人は所用で自力通学、1人を降ろし、運転手と後部座席2人で帰途を辿っていた。
 片側2車線の左側を走行中、目の前に頭を歩道に乗り上げ、尻が出ている車発見。なのに運転手が避けたのは本当に直前、後部座席にいる自分が悲鳴を上げてからだった。運転手にも見えていたはずなのに危機判断が遅れているとしか言いようが無い。我に返った瞬間、誰も声が出なかった。
 翌朝、教室に着いてすぐ、運転手に
「昨日はすいませんでした」
と言われて前日の恐怖が蘇った。
 実はこの運転手には前科がある。過去に大きな事故をして国道を6時間にもわたり渋滞させただの、過去の事故暦を自分で何故か得意げに暴露する。行き帰りの車中にそんな話をするのだ。なのに訓練の初日に自家用車通学希望者数に対して駐車場が足りないとなった時、自分から自分の車に乗り合わせてと名乗りを上げ、最近また1人しつこく誘って5人乗りの車中はすし詰め。契約駐車料と燃料代を割り勘するので安いのは助かるが、一緒に行き始めて3ヶ月足らずの間に何度こんな目にあったことか。こんな時にも
「さすがの反射神経で避けて下さって、お陰で助かりました」
なんて言う自分もいい加減お人よしなのではないかと思い始めた。自分だったら見えた時点で余裕で避けていた場面だ。
 この運転手、同乗を誘うのは女性のみ。途中の駅まで送って欲しいと頼まれた男性には理由をつけて断っていた。朝の渋滞の中、わき道から出て来ようとする車を手招きして入れてあげる。
「昨日はすいませんでした」の後、
「こんな危ないことがこれまで何回もあって、だから横から入ろうとする車は入れるようにしてるんです」
って、それ全然別問題じゃね?
3ヶ月近くの付き合いで分かってきたこと、この人、話を作り替える癖がある。教室の中で、ギクシャクした相手をこき下ろして自分を正当化し、同乗者を自分の味方にしようとする意図が見える。だが悲しいかな、同乗者は既に彼に対して不信感を抱いてしまっている。そのことに彼自身は気付かない。
 少し距離をおきたい。
 でも駐車場は無いので今の5倍払ってバスで通学しようか。
 何と説明しようか・・・
 タイトルとは話がずいぶんズレてしまった。
 運転手も、他の同乗者もそれぞれに思いがある。何が難しいといって、「人の心」ほど思い通りにならないものはない。