「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

「虐待の家」

「岸和田」という地名を全国に知らしめた事件がかつてあったことを、この著書で始めて知った。
「虐待の家   
 義母は十五歳を餓死寸前まで追い詰めた 
     佐藤万作子著 中央公論新社
 長男の様子がおかしいと救急車を呼ぶ場面から始まる。
 親の思い、子の思い、感情の衝突、すれ違い、しつけ。
 2004年の改正児童虐待防止法のきっかけになった事件である。
 この頃だったか、名札を下げた年配の女性が突然来訪し、子供の顔を見て、
「元気ね。かわいいね。」
などと言って「では」と帰って行った。何をしに来たのだろうと思っていた。他家では
「奥で昼寝している」
と言うと部屋に上がりこんで子供の顔を見て帰って行ったと聞いた。
 来訪の際、それなりの説明や身分など話されたかもしれないが、一見のその人を信用するのも難しい。
 その後虐待対策云々が聞こえて来るようになり、この本を読んで振り返って納得した。
 15歳、中学3年生の被害者は、自分の意志で逃げることも助けを求めることも出来る年齢、状況にあったのに、その家にとどまった心理が慮られる。人の子として生まれ、色んな思いや体験をして育ったにもかかわらず、その年齢のわが子にその頃の自分を重ねて思いをはせるに至らない親の悲しい現実。逆に、過去の自分と同じようにならないようにと追い求める理想と、思うようにならない現実とのギャップ。
 本の中の加害者だけではない。子を持つ親なら、少なからず経験し、理解できることも多々あるはず。他人事ではない。
 言葉にならない感情は多い。家庭、学校、職場、全ての関係は、「人」なのだ。自分に居場所があること、自身が誰かの大切な存在だと認識出来ればなお、生きる力になる。
 本当は、存在価値などあらためて考えるまでもなく、自分はここにいたいと思える、そんな場所があればいい。会いたい人がいる。帰りたい家がある。それは当たり前のようで必ずしもそうではない。
 家族でさえ難しいことを、他人に求めるのは無理なのだろうか。
 人のつながりを何より大切と、誰もが思える職場であって欲しい。人間関係さえ良ければ、たいていの難事は乗り越えられるし、仕事も続けられる。これもまた、多くの人が経験上知っていて、願っている共通項だろう。
 目が覚めて、気持ちよく向かえる職場。
 ・・正直、聞いたことがない・・