「生きる」を考える

斎場にて人生の終焉を見送る 元介護職 兼 介護支援専門員の日常

母の会

 仲間内で不定期に開催される「母の会」。同級生の息子を持つ母親の仲良しグループが、そう名付けて集まっている。役員会ではない。

 息子が中学生だった頃、陸上部だった。その学年で長距離に属していた6人が仲良しで、その母親6人はグループラインを作り、冬には駅伝を走る息子達を応援しに各々我が子のスタート地点で実況をした。

 

スタート地点:母「今スタートした。みんな、頑張ろうね!」

 スタートしたって。・・・息子、緊張気味にアップする。

 

2区地点:母「2区、4位でタスキ受け取った」

 4位って。息子、「4位か」・・・3区のスタートライン横に出る。そして3位走者の後、すぐに角を曲がって来たのが見え「よし来い!オレが抜いちゃる!」すごいスピードで追いかける。

3区、私「3区、4位詰めて来た!」

 

4区「すごい! 4区3位になってる」

...

 

 そして母達は前の区を走り我が子の区でタスキを渡した子を乗せて、ゴール地点へ車で向かう。

 そのレースでは3位を守り切ってゴールした。表彰式の後も6人は体育館でわちゃわちゃ遊んでいた。

 

 特別なコーチが付いていたわけでもなく、部活の顧問が引率するだけの、あくまでも部活動だったので、食事の制限もなく食べたいものを食べ、毎日放課後部活動の時間に活動していた。

 

 学校が休みの日に部活動の一環でラップタイムを取るために遠方の競技場へ行ったことがある。遠方だが公用車や貸し切りバスは無い為自由参加で、陸上部全体の親子数十人が競技場前に集まった。息子の学年の長距離に属する子供6人と、その日都合がついた親3人で車2台に分乗して行った。まるでお楽しみドライブだった。部活動は昼で解散になったのに、子供達は遊びたいと言い、途中の公園で鬼ごっこをして走り回り、全員を送り届けたのは夜7時だった。子供達が走り回っているのを見ながら「本当に走るのが好きよね」なんて言いながら、母達も話が止まらない。

 

 中学3年生の夏休みには「受験勉強」の名目で一人の家に集まりその家の親が見張って1時間勉強した後は夕方まで自由に遊んでいた。

 

 高校で進路は分かれたが、子供達は相変わらず仲良しで、よく集まっては遊んでいた。

 母達もそのグループラインで定期的に連絡をとっては近くのファミレスでご飯を食べた。高校の頃は子供達も母達が集まるのに合わせて一緒にご飯を食べ、母達は進路が分かれて会う機会が減っている分、子供達の成長を見るのが楽しみだった。

 

 そして息子達は20歳を過ぎた。

 先日は遠方で独り暮らしをする2人を除き、母4人が集まるのを機に息子4人も会う約束をしていた。

 息子達は少し早い時間に待ち合わせていたようだが、母達が集まる時間に合わせてファミレスにご飯を食べに来てくれた。この心遣いが嬉しい。母達が息子達に会うのを楽しみにしている事をよく分かっている。

 

 実は今回の母の会は久しぶりだった。

 メンバーの一人が、数か月音信がなかった。

 子供同士は時折遊んでいるので、尋ねてみたが

「疲れてるみたいで」と言うだけだった。

 他の母達も、返事が来ない事を気にしていたが、皆に返信がない事が分かり、暫く様子をみていた。

 ある日、本人からすごい長文が届き「鬱っぽくなっていたけど、回復したから母の会やろう」と、あっという間に3人を招集してくれた。

 そして数か月ぶりに食事会があったのだが、変わった事といえば、何となくご飯を食べたらマスクをして若干離れてしゃべる事が皆身についていた。以前はテーブルの上で顔を近づけて話していたのに。母達も看護師だったり、介護職だったり、美容師だったりで、コロナに罹るわけにはいかない面々ばかりだ。

 

 職場と自宅の往復、時々さッと買い出しをするだけの毎日だったが、予定してからこの日を楽しみにして働き、この日にエネルギーチャージしてまた働いている。

 ストレスフルな日常の中で、会食する事に罪悪感を覚える。